すみません、以下いつもどおりウザイです(笑)
掲示板で引用してくれていたある映画の中の台詞について。
“相手を本当に理解するのは無理。でも、理解してくれようとする気持ちが嬉しい”
西川くんの思っていることはわからなくても、わかって欲しいと思ってる事はわかりたいと思ってた。
だから、“本当にやりたい事ができているんだろうか?”と思っていた-eの頃とか、
言葉や表情から深読みして(する必要があるような気もして)、それで勝手に理解しているファンになってるつもりだった。
西川くんにとってあの時期がちょっとつらかったのは確かだったみたいなので、
あながち方向は違ってなかったと今でも思ってはいるんだけど。
逆に、あの頃の言葉を額面どおりに受け取っていた人たちは、
後になってから“あの時の自分が信じたものは一体?”ってなってる気もしつつ。
で、段々西川くんがイキイキしているように見えて来た頃から、深読みなんてしなくなってた。
言葉のまんまを受け取って、こっちもすごく楽しかった。
けど、結局それがどうもズレていたようで。
西川くんの本音の居場所が、その時その時の「今」にちゃんとわからないんだよね。
あとから、あの時はああだったんだ・・・って思わされる。
・・・まぁ、人間そんなものかもしれないけど。
それがきっかけで、理解しようとする気持ちが欠如している気がする。最近。
何でも肯定する事を「西川ありき」というのとも違うと思っているし、
何でもOKな人は逆に本質をわかろうとしない節操のない人のようで、
西川くんに失礼なのではないかと思ってた。
だから、何でも肯定しないのは、わかりたいと言う気持ちの裏返しで、
西川くんの存在を尊重して、西川くんに期待しているから故だったと思ってた。
けど、やっぱりその場その場を肯定していくファンのほうがありがたいのかな。
その方が安心するんだろうかな。
あれこれ言ってるファンは、進む道中を阻む不安材料になってるのかな。
そう言いつつも、やっぱり歩み寄ってる自分がいる。歩み寄る方向もわからないままだけど。
西川くんから歩み寄ってきてはくれないから、こっちが「理解しようとする気持ち」を
もたないと、ファンを続けられないから。
理解しようとする気持ち、なんて、今の自分が言うのは恩着せがましいな。
西川くんのファンでいる自分を失うのがこわいだけか。
・・・歩み寄るも何も、ものすごく寄っかかってるくせにね。
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っていうのがありつつ、
“正直に言うのが誠実だと思わない。何を言うかを選ぶセンスがあるのが誠実だと思う”
を踏まえていくべきなんだな、と。